大正異聞奇譚 1
「は、はっ…はぁっくしょい!!」
寒さで思わずくしゃみが出た。3月でもまだ寒く外套を着ていないと肌寒い。
「大丈夫かよ〜、相変わらず貧弱だな〜」
隣で背の高い筋肉質の男がヘラヘラと笑う。
彼の名は桑原 建御。隣の家に住む同い年の友人だ。幼い頃(こちらで育てられた時)から一緒によく遊んだ幼馴染であり、今は高校の同級生でもあった。
今は高校からの帰り道。約束した訳ではないのだがいつも2人で帰る事が多かった。
「それでさぁ、親父とお袋には好きにして良いって言われてるわけ。」
「良かったじゃないか。お前は軍人は向いてないと思うしな。」
建御は進路に悩んでいるようだった。
桑原家は代々陸軍省に勤める軍人一家だ。かつて江戸時代には藩の重鎮だった名家でもある。今は建御の父と兄が陸軍省で働いていた。
「うーん、そりゃ向いてないとは自分でも思ってるよ?けど、なんか自由にしていいってのも違うと思わない?」
「別に適当な仕事に就けば良いだろ。俺はむしろ軍人になれって言われても断固として拒否するがな。」
「颯に言われたくないわ〜。どうせあれだろ?実家の呉服屋継げば良いんだろ?」
「それはそうだけど…」
私の親は呉服屋「風伯屋」の店主であった。
私は一人息子で将来は家業を継ぐものと周りにいる者、家族友人、従業員など、誰一人として疑わなかった。
しかし、問題がある。現代の私はどうなったのか、だ。ここから帰る術は分かってない。そもそもあるのかさえ分からない。大正の世の中も案外悪くは無いとさえ思っている。けれど自分がどうなったのかも分からないのは嫌だ。だから仕事に就いていそがしくなるのはどうしても避けたかった。
「なんだよ〜、そんな考え込んじまって。何かしたい仕事でもあったのか?ほら、もう着いたぞ?」
そう言われて顔を上げるともう家の前だった。
「それじゃあ、また明日な〜」
「あぁ、また明日」
玄関の扉を開けると、
「あら、お帰りなさい。外は寒くなかった?こちらで火鉢にお当たりなさいな。」
と母が声をかけてくる。わかったと返事をして、自分の部屋へ向かう。鞄と上着を置き、パソコンを起動する。やはり現代のものに比べれば動作が少し重い気がする。けれどもネットワークに接続できてウェブサイトが見れるのはありがたいかぎりだ。
コンコンとノックされ振り返るとお盆を持った母が自室の扉を開けていた。
「分かったって言っといて、やっぱり自分の部屋から出てこないじゃないですか。何が楽しいのかさっぱり分かりませんけど機械いじりも程々にね。」
お盆の上のお茶と和菓子を机に置いて言う。
母が部屋を出ていくのを見て、またパソコンを触り出す。調べる内容は1つ。「現代への帰り方」だ。もう何度も調べてはいるがまだみつけられてはいない。そもそも何と調べれば良いのかも分からない。それでもヒントはなぜかあったパソコン以外に無い、と確信していた。
気がつけば外はもう暗くなり街を行き交う人々の声も聞こえなくなっていた。長い間、同じ姿勢でいたので腰と肩が痛い。気晴らしに何かしようと思ってYoutubeを開いて見る。一応、見ることは可能だ。ただ以前からYoutubeがあまり好きではなかったので見てもよく分からない。検索欄を開き、おもむろに「大正」と調べてみる。すると大正がテーマの曲や都市伝説、授業解説などが出てきた。上から眺めていると気になる物があった。
「…御来屋?」
どこかで聞いた気がする。
何故知っているのかを考えながら、窓の外を見る。
冬の空に今も昔も変わらぬ満月が浮かんでいた。
大正異聞奇譚 -序章-
大正23年。聞きなれないだろう。
話を遡る、否、進めること86年。
2020年のある日の事だ。
私は高校を出て、帰宅の途中だった。
路地裏の坂道を自転車で気持ち良く下っていた時、空き家の前を通りかかると、埃をかぶった振り子時計が棄てられていた。それは随分くすんでいたが、レトロな雰囲気は古物商が見ればたいそう喜びそうなものだった。それに目を奪われていた私は目の前にある古い箪笥には気が付かなかった。「ドンッ」とぶつかり、自転車から投げ出された。地面に頭を打ち、気が遠くなる中で最後に、箪笥の上の大量の古書の束が降ってくるのを見て意識が途絶えた。
次に意識が戻ったのは見知らぬ場所だった。
体も頭も動かない。僅かない草の匂いと天井が板張りなことから和室に寝かされていることはわかる。さっきの事故での怪我の影響かと思い、生活が不便になりそうだと思って気持ちが暗くなった。暫く色々なことを考えていた。しかし、体が動かずどうにもならない事を悟り、諦めた。
天井の木目をぼーっと眺めて、どれほど時間がたっただろうか。うとうとし始めた頃、遠くから廊下をギシギシと鳴らしながら近づいてくる音が聞こえた。はっと目が覚め、耳を澄ませる。足音は徐々に大きくなり、壁の向こう側で止まったようだった。
すすすと襖が開いて、視界の外側で人が入ってくるのを感じた。ぬっと顔を覗き込んだのは、着物を着た綺麗な女性であった。じっとこちらを見つめ、微笑み、抱き上げられた。その時に気がついた。「体が小さい」と。全身に力が入らず、手足がぶらんとしている。何か言おうとしても舌が思うように動かない。あぅあぅと情けない声が出てら絶望しかけた。あまりに屈辱的だったからだ。女性にだき抱えられ、ゆらゆらとあやされる。もう何も考えたくなくなって目を閉じた。
後に分かったことだが、この時は大正7年5月であったらしい。それから16年を経て、ここ、大正の時代でもう一度、教育を受け直した。そして家の蔵にこの時代にあるはずもないパソコンを発見し、今に至る。この文章は正に今、書かれているものだ。
これからはこのパソコンを使って、私の日常を届けたい。
今日はこれにて。