大正異聞奇譚 -序章-
大正23年。聞きなれないだろう。
話を遡る、否、進めること86年。
2020年のある日の事だ。
私は高校を出て、帰宅の途中だった。
路地裏の坂道を自転車で気持ち良く下っていた時、空き家の前を通りかかると、埃をかぶった振り子時計が棄てられていた。それは随分くすんでいたが、レトロな雰囲気は古物商が見ればたいそう喜びそうなものだった。それに目を奪われていた私は目の前にある古い箪笥には気が付かなかった。「ドンッ」とぶつかり、自転車から投げ出された。地面に頭を打ち、気が遠くなる中で最後に、箪笥の上の大量の古書の束が降ってくるのを見て意識が途絶えた。
次に意識が戻ったのは見知らぬ場所だった。
体も頭も動かない。僅かない草の匂いと天井が板張りなことから和室に寝かされていることはわかる。さっきの事故での怪我の影響かと思い、生活が不便になりそうだと思って気持ちが暗くなった。暫く色々なことを考えていた。しかし、体が動かずどうにもならない事を悟り、諦めた。
天井の木目をぼーっと眺めて、どれほど時間がたっただろうか。うとうとし始めた頃、遠くから廊下をギシギシと鳴らしながら近づいてくる音が聞こえた。はっと目が覚め、耳を澄ませる。足音は徐々に大きくなり、壁の向こう側で止まったようだった。
すすすと襖が開いて、視界の外側で人が入ってくるのを感じた。ぬっと顔を覗き込んだのは、着物を着た綺麗な女性であった。じっとこちらを見つめ、微笑み、抱き上げられた。その時に気がついた。「体が小さい」と。全身に力が入らず、手足がぶらんとしている。何か言おうとしても舌が思うように動かない。あぅあぅと情けない声が出てら絶望しかけた。あまりに屈辱的だったからだ。女性にだき抱えられ、ゆらゆらとあやされる。もう何も考えたくなくなって目を閉じた。
後に分かったことだが、この時は大正7年5月であったらしい。それから16年を経て、ここ、大正の時代でもう一度、教育を受け直した。そして家の蔵にこの時代にあるはずもないパソコンを発見し、今に至る。この文章は正に今、書かれているものだ。
これからはこのパソコンを使って、私の日常を届けたい。
今日はこれにて。